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言語という無機生命体が奏でる ことばのオーケストラ
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プロフィール
HN:
竜胆-rinndou-
性別:
非公開
自己紹介:
漢方で根を乾燥させて健胃剤に用いる それがとても苦く「竜の胆」のような味だということからその名がついた  白い花を咲かせる種は笹龍胆と呼ばれる
紀元前180~67年 イリュリア王ジェンテウス はペストに苦しむ領民のため山野に分け入った 神に祈り矢を放つとその矢は竜胆の根にささり それを薬用に用いたという 英名「Gentiana」は王の名から来ている
日本では平安時代おしゃれな花とされ女御たちの衣裳の模様に競って使われた
その衣装の作り手はどのような思いを込め竜胆を描いたのであろうか また 自らをより美しく見せるため その竜胆の衣装をまとった女御達にはどのようなドラマがあったのであろう・・・
花言葉は 「正義」「悲しんでいる時のあなたが好き」「さびしい愛情」
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 真っ青な空。見渡す限りの水平線。そしてその空の色を溶かし込んだかのような海。あなたはどこを想像されましたか?きっとどこかのリゾート地ですよね。そしてこれはそんなリゾート地でも特に有名なハワイにちなんだお話です。 
 ハワイには少し変わったこんな植物があります。一つの植物なのに、花の部分をレフア、木の部分をオヒアという世界的にも珍しい植物です。一つの植物なのに部分で呼び方が違うだなんて、なぜだか少し気になりますよね?実はこの植物にはこんな神話が残っているのです。
 昔、オヒアという青年とレフアという女性の仲のいいカップルがいました。そしてある日オヒアは森の中で火の女神ペレと出会いました。ペレはオヒアをとても気に入り自分のものにしようとしましたが、レフアと結婚する約束をしていたオヒアはそれを拒みました。そのことに腹を立てたペレはなんとオヒアを木に変えてしまったのです。いつまでも帰りの遅いオヒアを心配してレフアは森の中へ探しに行きました。レフアはそこで変わり果てた姿となった恋人のオヒアを見つけます。レフアはとても嘆き悲しみました。しかし、レフアのオヒアを想う美しい心と、とても嘆き悲しむその姿に胸を打たれた他の神様がレフアを花に変えオヒアの木に咲かせたのだそうです。
 このことを知ったとき私はある一つの約束を思い出しました。それは今から6年ほど昔。そう1999年に地球が滅亡するという予言のときのお話です。誰もが半信半疑ではあるけれども、心のどこかでは不安を隠しきれないでいた当時。テレビの通販の番組では来るべき災害に向けて非常時の必要グッズまでが売り出される始末。私たちもそんな中の一組でした。そう私には大切な恋人がいたのです。
 「ねぇ、もしも世界が本当に滅びたらどうする?」
 「えぇーそんなことになっても側に居るよ。」
 「絶対?約束してよ。」
 「あぁー約束する。」
 2007年となった今から思えばとても馬鹿らしい約束でした。しかしそのときは、ずっと側に居てくれると言った彼の言葉を、とても嬉しく幸せに感じたことを今でも心に憶えています。心の通い合った人の側に居る。これほど簡単で幸せなことはないと思います。
 幸い1999年に地球が滅亡することはありませんでした。しかし戦争や環境問題や高齢化問題・・・人類は未だに多くの「引き金」を抱え込んでいます。地球滅亡への「引き金」を。そんな中で小さな私が出来ること。大切な人の側にずっと居られるために出来ることをコツコツとやっていこうと思っています。例えそれがどんなに些細なことであろうとも。今横で幸せそうに眠っているこの人はあのときの約束を憶えているかはわかりませんが(笑)。
 最後になりましたが、ハワイの島にはこんな言い伝えもあります。
 レフアの花を摘んではいけない。レフアの花をオヒアの木から離れ離れにすると大雨が降る。なぜならその雨は二人の涙だから・・・と。
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 あるとき、友人たち数人とで、暖炉のあるコテージを借りて、休暇を楽しむことになった。そのコテージを借りるときに、管理人さんが教えてくれたことがある。
 暖炉は人を三度暖めるというのだ。まず一つ、暖炉に火を灯すには薪が必要だが、その薪割りでまず体があったまる。次に一つ、当たり前だが暖炉に火がつくとその熱で体が温まる。最後に一つ、真っ赤に染まり、ゆらゆらと揺れる炎は、それを見つめる人の心をあたためる。暖炉のある風景である。
 このことを知ったときに、実はふと思い出したことがある。それはまだ、私が中学生くらいのときのことである。いつもはインスタントですませるのだが、その日はなぜか、いつも父や母がやっているように、コーヒーを豆から挽いてみることにした。前々から一度やってみたかったのである。初めての挑戦だった。初挑戦という試みに小さな胸は高鳴った。そしてまず、豆の入った缶を開けてびっくりした。コーヒー豆の香ばしい感じが脳を貫いた。これが「大人のコーヒーなのか!」と感激した。次に、見よう見まねで豆をガリガリと挽いてみた。さらにその大人の香りは高まった。そこから湯を注ぎ、ポツポツとコーヒーを一滴一滴落としてカップを満たしていった。その雫をじーっと見つめる目は、きっと輝いていたことだろう。すでに部屋中には香ばしい大人の香りに包まれていた。
 そしてついに待望のときが来た。猫舌気味だった私は、熱さに気をつけながら、恐る恐る唇をカップのふちに着け、ゆっくりと飲んだ。鳥肌がたった。今まで知るインスタントとの差は歴然としていた。「これが大人のコーヒーなのか!」と再び思った。大人になったような気分で、ベランダの景色を眺めながら、居間全体に満ちたゆっくりとした『時』を楽しんだ。
 卓上にある空っぽになったカップは、少し背伸びした気分の少年の心に、いつまでもその余韻を残した。

 その日は刻一刻と確実に近づいていた。無情にもその日は晴れだった。小学校三年生のいつかのあの日。
交通安全演習のため、学校の校庭には横断歩道が石灰の白線でひかれ、障害物や信号が置かれた。
雨になることを心底願った。ただ延期になるだけだというのに。
そして運命の当日、生徒が校庭に集められた。そこには数台の自転車が用意されていた。演習の内容は安全のために交通ルールに従って正しく自転車を運転するといった内容だった。
生徒の中で自転車に乗ることができなかったのは自分一人だけだった。
他の生徒の列から一人だけ離された。恥ずかしかった。恥ずかしくて悔しくて大声をあげて泣いたいつかのあの日。
その日家に帰っておねだりをした。それまで、どこか両親に申し訳なくておねだりなどしたことがなかったのに。それほどまでに悔しかった。
父は植物を育てるのが趣味だった。そんな父は、家にある観葉植物に水をやることと、何かの花の種を手渡して、世話をする約束を三ヶ月守ったら買ってやるといった。

 次の日から花に水をやるため、早起きする生活が始まった。
学校から帰ってきても水やりをした。さしたる苦ではなかった。しばらくすると何かの花に芽が出た。嬉しかった。
約束をやぶることはなかった。いつしか何かの花の成長が楽しみになっていた。
そして、待ちに待った約束した日から三ヶ月目の日、学校が終わると、寄り道することもなく一直線に胸を躍らせて家に向かった。
自転車の話が無ければ、自分から言ってやろうと思っていた。
夕食が終わり、父は鍵をくれた。自転車の鍵だった。
「約束していた自転車の鍵だ。」
天にも昇るほど嬉しかったのを憶えている。
あまりの嬉しさに自転車に「まり」という名前をつけた。一戸建ての家からマンションに引っ越してきたために手放した、昔飼っていた犬の名前だった。

 そして次の日から、今度は「まり」との格闘が始まった。
ようやく乗りこなすことができてきた一週間目ほどのある日。
学校から帰って自転車に乗ろうとしたが、自転車は無かった。
必死になって探した。しかし、まだ真新しいその自転車は見つからなかった。盗まれたのだと直感した。
ショックだった。しかし、それ以上に親に何と言えばいいのかわからなかった。
申し訳なくて、とてもではないが言うことができなかった。

 次の日から、更に今度はマラソンの日々が始まった。
友人が自転車に乗って移動する横で、自分は必死で走り続けた。
心臓が張り裂けそうだったが、自転車を無くした事実を話すよりかは、ましだと思った。
測ったことはないが、今思えば、ほぼ毎日十数キロは走っていた。
約束の期日が過ぎていても、花の水やりを続けていれば、自転車がある日ひょっこり戻ってくるのではないかと思い、水やりは続けた。
何かの花の成長も楽しかった。
しかし「まり」が戻ることは無かった。結局、電車通学になる中学生までそのマラソンは続いた。

 自分のとった行動が、正しかったのかどうかはわからないが、今にして思えばいい体験だった。
嫌なこと辛い事は色々あったが、約束を守って得ることの喜び。
そしてそれ以上に、約束をできる程の信頼関係をもてる相手とのつながりの大切さ。
直接は関係ないが、毎日の花の水やりを通して生きるものに対する想い、成長する喜びを学ばせてもらった。
親というものは、やはり偉大なものだと改めて実感させられた。

何かの花は今も私の心の中で咲いている。

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